制度史の観点から考える薬機法の歴史
- Miyu Hosokawa

- 1月4日
- 読了時間: 11分
更新日:1月5日
朝でも〜夜でも〜!ハンニバルいえーい!
そういえば、私の専門は共和政中期ローマの官職制度と選挙だったことを思い出したブランディングコンサルの細川です。
学生時代に読んだローマ法、何を言っているのか全くわからないプラトニズム。
ハンニバイズムよろしく、たまには歴史の話をしようと思います。
目次

なぜ日本では「健康・医療表現」が厳しく規制されるのか
早速ですが、健康食品・化粧品・医療関連ビジネスに関わる皆さん。一度は「日本は薬機法厳しいのでは?」と感じたことはありませんか?
薬機法だから言えないのは勿論のこと、大企業や医療団体の利権を守るためだという主張も耳にします。確かに一部では利権を保護しているかもしへませんが、共和政中期ローマの官職制度の成り立ちを研究していた私としては、やや疑問が残ります。
「法律や制度って、何かが問題だったから、改善するために作られるんだよな〜〜」
では、実際に薬機法(旧・薬事法)は利権を守るために作られたのか?歴史学の立場から検討していきたいと思います。
※本記事は共和政中期ローマの官職制度と選挙、それに伴う戦争外交が専門の人間によって書かれています。
薬機法(旧・薬事法)の歴史〜ダイジェスト版〜
①江戸時代〜明治時代
政府が薬を取り締まるルーツは、実は江戸時代。幕府によって1722年に薬品検査所なる施設が設置され、検査に合格した薬品以外の販売を禁じて品質の確保が図られました。
しかしこの制度は業界からの反発で、1738年に廃止。時が経つこと明治維新。
1870年に「売薬取締規制」が制定。薬売りや漢方薬といった従来の薬品業を中心に、大幅な規制が実施されました。続く「薬剤取締之法(1873年)」によって現在の薬局や薬剤師、薬価制度、医薬分業制度の基礎がそれぞれ成立しました。
不良医薬品の取り締まりによって薬品の品質確保がされるようになったのです。
②なぜ西洋医学が重視されたのか?
明治政府による薬品制度は、西洋医学的観点から整備され、規制された漢方も少なくありませんでした。
ではなぜ、明治政府は伝統的な東洋医学ではなく、西洋医学を重視したのか。それは、「西洋かっこいいーー!」という単純な話ではありません。東洋医学の属人性に問題があります。
江戸時代には漢方医や鍼灸医などの職能があり、極めて属人的でした。彼らは各医に弟子入りし、師匠に認めらることで院を開業しました。治療の質はバラバラ。「ヤブ医者」も珍しくありません。
いわゆる「腕利きの先生がいるんじゃ……」状態です。
開国後、多くの日本人が西洋医学を学びます。
西洋医学は体系化されており、数値やデータに基づいた再現性の高さが特徴です。中でも日本が影響を受けたのはドイツ医学でした。
実際問題、欧米列強に対抗するためには軍事力が必要で、戦地でどれだけ負傷兵の治療ができるのかが問われます。そこでは属人的なな東洋医学より、再現性のある西洋医学が重宝されたのでしょう。
かくして明治時代にドイツ医学をベースに、技術と教育制度が整えられていきました。
③大正時代
多くの「薬」が規制されていく一方で、明治の薬品制度では「害がなければ、薬効がなくても規制しない」という無効無害主義でした。
しかし1910年に「医薬品は人体に害を及ぼさず、かつ薬効が確認できるものでなければならない。この二要件を満たさないものは規制されるべきである」という有効無害主義に転換。
そして1914年に薬剤師・医師以外による売薬を禁止する「売薬法」が施行され、合わせて広告規制なども行われるようになります。
例えば、「万病に効く超すげー妙薬」のような表現が禁止され、すべての売薬について薬効の化学的裏付けをが求められるようになったのです。
④戦時体制と旧旧・薬事法の制定
1937年に日中戦争が始まり、翌年に国家総動員法が制定されました。即ち、戦時体制が確立したのです。
物資統制下では生活必需品は勿論のこと、薬品も例外ではありません。政令によって価格が統制され、そして1941年に政府が医薬品の流通を掌握しました。
その後、真珠湾攻撃をきっかけに戦争が激化。
1943年に「薬事衛生の適性を期し国民体力の向上を図る」ことを目的に最初の薬事法が制定されます。従来の医薬品に関する諸法令が旧旧・薬事法に統合され、不良医薬品の取り締まりや品質適正化がより強化されました。
⑤終戦と旧・薬事法
1945年に日本が敗戦し、1947年に日本国憲法が制定されました。
多くの法律が見直され、旧旧・薬事法もその一つでした。
1948年に旧・薬事法が制定され、旧旧・薬事法の抜け穴が見直されたほか、政府による許可事項を大幅に削減。また政府掌握による運用ができないよう変更されました。
その後も幾度となく改正を重ね、特定機能食品や可能性表示商品制度の導入、一部の医薬部外品が薬局以外で取り扱えるようになったり、ネット販売の規制が一部緩和したりしました。
そして、2014年に薬事法から薬機法へと名称が変わりました。
制度化される大前提
薬機法に伴う健康業界・美容業界でよくある誤解が「利権」です。中には「医者は患者が健康になったら困るので、不健康のままにしている!」と耳にすることも。
それはとんでもない誤解です。机上の空論としては尤もらしいですが、制度論としては「利権」と切り離して考えなければなりません。
薬品規制の歴史は、薬品の品質適正化と粗悪品の是正が根底にあります。同時に制度が変わるということは「何らかの問題」があるから変えるということ。
中でも制度改正にあたって、大きな影響を与えたとされるのがサリドマイド事件とスモン薬害です。
サリドマイド薬害
1950年代〜1960年代にかけて、妊婦が服用した医薬品が原因で四肢奇形などの重い障害を負った子供が次々に産まれました。これがサリドマイド薬害です。
日本では「イソミン」「プロポンM」として販売されていました。
サリドマイドはてんかんの治療薬として開発され、のちに鎮静催眠作用があることが判明。1957年10月に当時の西ドイツで鎮静催眠剤として販売が開始し、日本では1958年1月に販売が始まりました。特につわりに苦しむ妊婦に愛用されたそうです。
ある時ドイツの病院で「四肢奇形を持って生まれた赤ちゃん多くね?」ということに気付きます。
1961年11月にに西ドイツのレンツ博士が母親のサリドマイド服用との因果関係を調べて発表。西ドイツでの製造販売企業は9日間で製品を回収し、10日後にヨーロッパ各地で製造・販売が中止になりました。
日本ではサリドマイドと胎児への因果関係の証明が取れないとして初動が遅れ、10ヶ月後に対応しました。
余談ですが、同時期にオーストラリアの産婦人科医ウィリアム博士も同様の報告を行い、彼らは薬品制度改革に大きな影響を与えたと評価されてきます。
サリドマイド薬害が制度に与えた影響
この薬害によって、国際的にも薬品制度の見直しが急務となりました。日本では大きく2点が改正されます。
①胎児リスク検査の義務化
薬害以前、医薬品の承認審査では胎児への影響は検証されていませんでした。副作用の評価は主に成人を対象にしたものであり、妊娠中の服用が胎児に与える影響については、十分な検証が行われていなかったのです。
しかしサリドマイド薬害を受けて、医薬品開発の過程で催奇形性試験を行うことが義務化されました。
②輸入品審査の厳格化
1950年代当時、日本における輸入医薬品の審査基準は、現在と比べて極めて緩やかなものでした。海外で使用実績のある医薬品は、それだけで一定の安全性が担保されていると考えられ、簡易審査によって承認されるのが慣行でした。
しかしドイツ発のサリドマイド薬害を受けて、制度上海外の臨床データや検証結果は、あくまで参考資料として位置付けられます。これらのデータは補助材料になるものの、安全性の根拠にはなりません。
日本国内での安全性・有効性評価を必須とする考え方が確立され、海外での使用実績だけでは承認できない原則が明確化し、1990年代にかけて段階的に強化されていきます。
スモン薬害
スモンとは亜急性脊髄視神経症の頭文字をとったもので、神経症状などによる歩行困難や、視力障害など全身に影響が及び、耐え難い苦痛を与える難治性の疾患です。
原因はキノホルム。日本では1920年代に腸内の殺菌を目的にアメーバ下痢の治療薬として用いられ、整腸剤として知られていました。
薬害問題の報告は1955年ごろ。しかし処方ガイドラインが未成熟だったり、寄生虫症や感染症の処方薬だったらしたため、薬害ではなく風土病か何かでは?と誤認されていました。
しかし患者数が1万人規模に登ったことで無視できなくなり、1969年に厚生省がスモン調査研究協議会を設置。薬害の因果関係が明確だったため、1970年にスモンの販売が中止になりました。
1979年に薬機法の大改革
サリドマイド事件をきっかけに、安全評価試験が導入された一方で、既製品に対する再評価は行われていませんでした。長年の使用実績があるから、安全だとみなされていたのです。
特にスモン薬害の発見が遅れたのは、急性毒性がほとんど確認されず、長時間かけて毒が蓄積されるといった概念自体も未成熟だったのもあります。
「長年使われているから、安全だよね」という根底がこの薬害で覆り、1971年に医薬品再評価制度及び販売後安全対策(PMS)が制度化されました。
その後、1970年代を通じて医薬品再評価・PMS制度の運用を通じて、完成したのが1979年の薬機法改正です。
この改正によって、
・医薬品の有効性、安全性を継続的に評価
・販売後も企業が主体的に情報収集、報告を行う責任
・因果関係が完全に証明される前でも、規制そちを講じうる枠組み
が、法律として明文化されました。
まとめ
薬機法をはじめとした制度は、利権を守るためのものではなく何らかの問題があったから生まれます。そんな単純な構図ではありません。
薬機法制度の場合は、粗悪品・誤情報・未成熟ゆえの被害という失敗へ対処した積み重ねで整えられて行きました。
江戸時代の薬品検査所に始まり、明治期の西洋医学導入、大正期の有効無害主義への転換、戦時体制下での統制は、粗悪な医薬品の廃絶と品質維持が根底にあります。
そして1947年に制定された旧・薬事法も同様です。その後、サリドマイド事件やスモン薬害などを受けて、何度も改正が行われてきました。いずれも「起きちゃった問題」に対処する形で制度が書き換えられていったのです。
特に重要なのは、1970年代以降に確立された「証明されてから規制するのではなく、証明される前から規制する」という発想です。
これは企業にとっては不自由で、表現者にとってはやりづらいかとしれません。しかし、その背景には「取り返しのつかない被害を二度と起こさない」という強烈な社会的課題が存在します。
薬機法が利権を守る効果があるのかもしれません。裏では超やばい権謀術数が蠢いているのかもしれません。
しかし、制度論としては度し難いので「制度」に対する理解の一助となれば幸いです。
参考文献
今回はDOIや機関リポジトリ論文を参考しました。
高橋春男「薬事法改正の経緯からみたPMS関連事項の変遷」(薬史学雑誌,2015)
中山考子、杉本是考「明治30年代の「売薬請願願・同約定書」に関する2つの史料について」(日本歯科医史学会々誌第25巻、2004年)
吉良枝郎「明治維新の際、日本の医療体制に何が起こったのかー西洋医学の道のりー」(日東医誌、2006年)
北小路博司「明治時代以降における鍼灸医療制度・教育および研究の変遷」(全日本鍼灸学会雑誌、2012年)
科研費研究『日本における医薬品規制の政府管理史の研究』(立命館産業社会論集、1986年-1987年)
佐藤祐哉「医薬品産業の成長と研究開発機関の立地展開」(広島大学大学院研究科論集、2006年)
半田千尋「日本の薬害物語〜昭和から令和へ〜」(2026/1/4アクセス)
主要な先行研究等の紹介
船山信次『毒と薬の世界史 ソクラテス、錬金術、ドーピング』(中公新書、2008年)
坂井建雄『医学の歴史』(医学書院、2019年)
明治期:
長谷川伸「明治期日本における医療制度の形成」(社会経済史学、1978年)
酒井シヅ「明治期における西洋医学の導入と伝統医学の位置付け」(日本医史学雑誌、1982年)
青木歳幸「近代日本における薬業制度の成立」(薬史学雑誌、1986年)
酒井シヅ『日本の医療史』(東京大学出版会、1982年)
青木歳幸『近代日本医療制度史研究』(吉川弘文館、1994年)
大正期:
田中聡「大正期における薬品取締制度の展開」(日本公衆衛生雑誌、1991年)
川上武「大正デモクラシー期の医療行政と公衆衛生」(医療と社会、1987年)
川上武『近代日本の医療と社会』(頸草書房、1985年)
内藤陽介『日本公衆衛生史』(医学書院、1990年)
昭和初期(1945年まで):
吉原賢二「戦時体制下における医薬品統制政策」(社会経済史学、1993年)
岡本拓司 「昭和戦前期における医薬品行政の再編」(薬史学雑誌、2001年)
松田宏一郎 「国民体力管理政策と医療制度」(日本史研究、1998年)
岡本拓司 『戦時日本の医療統制』(名古屋大学出版会、2004年)
厚生省編『厚生行政史第一巻(戦前編)』1988年
昭和後期(1989年まで):
中川米造「戦後日本の薬事制度と薬害問題」(医学史研究、1976年)
大谷實「サリドマイド事件と日本の医薬品行政」(社会医学研究、1980年)
田中聡「スモン薬害と医薬品行政の制度的欠陥」(医療と社会、1995年)
岡本拓司「薬害事件が薬事法改正に与えた影響」(薬史学雑誌、2003年)
中川米造 『薬害の社会史』(岩波書店、1983年)
岡本拓司『薬害はなぜ繰り返されたのか』(中公新書、2005年)
厚生労働省『薬事行政百年史』2014年
吉岡斉『薬害の日本史』(岩波書店、1996年)








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